×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

山岳民族の友達編 上

タイに家を建て将来 向うで生活するつもりだからタイ語 話せるけど字は知らない
手紙の翻訳を数キロ離れた所に住む元タイ人の奥さんに翻訳してもらっています
そこで タイの経済危機前だから1997年春に メーソリアンと云うタイの北部か ら政府の派遣で
農業研修に隣の市に勉強に来ているガイチットさんという方と知り合いになりました

彼が帰ってから「遊びにおいで」って手紙を貰ったので その年の10月
別荘の同居 人カミイと2人で 出かけてみました 
チェンマイとチェンライは空港があるので前にも行った事がある けど
その中間 メーホーソンとメーソリアンは始めての経験です

この地区は日本では首長族が有名で連れて行ってもらいましたが
よく写真で見慣れた所は確かに昔の家のままの造りで電気も来ていないけど
観光村でその1区画以外は電気が来てて お土産屋が有り 文化生活をしてました

「こんなのインチキ 本当の民族の姿を見てみたい」って言う俺の言葉にガイチット さんは
「じゃ私の仕事の現場について来ますか? 山岳民族に農業を教えています」って言 う
こんな作り物の観光地より面白そうなので「はい」って返事しました

ホテル(と云っても刑務所みたいに何の設備も無い)に帰ったらカミイが俺を買い物 に誘う
ロングライフミルクから粉ミルク ビスケット 煙草 その他訳の解らない物 山 ほど買わされた
「何するの」「山岳民族への土産」こんな物が?????
翌朝ガイチットさんが迎えに来た さあ出発!

彼の勤める政府の機関のジープで 山々を越え 殆ど半日 
道とは思えない道を時には後ろからジープを押すのを手伝いながら進ん だ、、、
2時頃 やっと彼が農業を指導していると云う1つの集落に着いた(朝8時から6時 間かかった
「土産全部は見せないで下さい 他にも集落が有りますから」って彼の言葉で見えな いように
少し残して隠しました ジープの周りを村民が付いて走ってきます 

村の中央の広場 に到着 すっかり囲まれてしまった 山頂でタイだというのに少し肌寒い温度です 
それなのに彼等は汚れた半袖のTシャ ツしか 着ていません 
ガイチットさんが彼等の1人に話しかけています
「今日は日本からの お客さんを 連れて来た 私は上の管理事務所に寄ってから来るから 
この村を見せてあげて」っ て、、、 紹介されたP君に集落を案内してもらった 

昔は山々を移動しながら木々の実を食べ たり 獲物を捕まえたりして生活してたらしいが
P君が生まれた頃からココに留まり生活を 始めたという
山の山頂に近いから自分達が食べる食料を手に入れるだけで精一杯
この頃 政府の指導と援助の御蔭で何とか自分達が食う事には困らなくなったが
とても作物を売ってお金に替えるだけの収穫は無いし 有ったとしても市場までは遠 すぎる、、
だから現金収入の道が殆ど無く衣類等がボロボロな訳だ、、、

でも電気の無いこの村にもTVが見れる所が1ヶ所あった
日本のボランティア団体が太陽電池と屋根付き集会所にTVを寄付してくれたから
そこはTVの教育チャンネルで先生無しの学校になったり 村人の憩いの場になってい る
バッテリー容量の関係で何時でもTV見る訳にはいかないらしいけど、、、

普通の家の中は電気が無いから真っ黒 平地では暑いから屋根のみ壁無しの家も有るけど
ここは山の上だからそんな家は無い 
高床式の部屋の中央に囲炉裏が有り それが明かりと冷え込む時の暖房を兼ねている 
壁を触って後で部屋から出て手をみ たら ススで真っ黒になってた、、
部屋の中は蒔きの煙で少し目が痛かった、、、

ガイチットさんがジープで降りてきたので広場に帰った 
集落の全員を集めてから 俺とカミイが昨日買った生活用品や食料を半分位 皆に細かく別けた
皆 喜んでいたけど こう云う村と知っていたら もっと衣類等を買って来るんだっ た、、、
カミイが少しは買ってきてたけど俺に遠慮したのか人数を知らなかったからか足りな かった、、、

ガイチットさんが今夜は管理事務所に泊まって 
明日午前中にもう1つ集落を訪ねて から帰ろうと 仰ったけど 
折角の経験だから今日は彼等の家に泊めさせてもらう事にした
ちゃんと「カップ麺」や「さとうのご飯」を用意して来たから食うには困らない から、、、
-----------------------------------------------------------------
山岳民族の友達編 2

辺りはすっかり暗くなってきた 今日は俺達「客」がいるので肌寒くなっても皆 家に帰らない
じゃ俺達が移動しよう 誰の家に世話になるか彼等に相談し宿泊先が決まった
熱心に俺達を誘ってくれたUさんの家にお世話になる事に、、

家は集落の中程にあった もう家の中は真っ暗に近い
タイの田舎は停電が多いので何時もバッグに用意している「釣ホタル」の大型のやつを折った
真っ暗な所では小さな蛍光灯みたいだ(色はグリーンだから顔色が変だけど)
これで8時間は大丈夫!食事の準備しよっと!(お湯だけで済むけど)

灯りに家の人 ビックリ! ポキッと折っただけでボーっとした灯りが出たので不思議がってる
直接持っていたので熱くないか聞かれる 手渡して持ってもらうと熱が無いので???らしい
「これ下さい」って言われた 何回でも使えると思ったらしい 
説明して1回限りだと判るとがっかりしてた
ここに来るのが最初から解っていたら 手回しか太陽電池のランプを持ってきてあげたけど、、

小さな4畳半位の部屋2つ その内1つは中心に囲炉裏が有るから更に狭い
このUさんのお宅は Uさん35歳位で奥さんも同じ位 15〜16位の男の子が1人いる
この子の前にも後にも本当は子供がいたけど 小さい内に死んでしまったって、、
ここには病院もないし薬屋も無い 暖房も囲炉裏だけだから雨が続けばマキもないだろう、、、

お湯が沸いて「サトウのごはん」を放り込む カミイも彼等の米が食えないというので2つ、、、
容器のまま放り込むから彼等???って顔してた そうだね これ彼等からすれば変だよね!
カップ麺と共に食事の時間 カップ麺1つしか無かったから カミイは缶詰をおかずにした

久しぶりの外部からの客に村人達が集まってくる 娯楽の何もない村落では
俺達の話を聞くのは娯楽だ 飯食ってる時もカミイの「いわしの味付け」見てる、、、
そう云えば ここは山だから魚は無いよね、、

お世話になるUさんに「サンマのカバ焼き」を1つプレゼント
俺が食い終わった御飯の容器にそれを入れて集まって来た人達と共にツマミになった
カミイが少し残したいわし缶と味を比べたりして 味の品評会      

どうしてタイ語を話すのか 日本の暮らしは さっきの土産の礼 タイに住んでいるか
他にも色々聞かれた 俺のタイ語 完全じゃ無いからカミイが補足する、、、
でも彼等のタイ語も完全じゃ無かった 特に年寄り達(と云っても40過ぎはここでは年寄り)は
あまり言葉が解らない カミイはラオ語を話すがそれとも違った、、
若い奴等が彼等の言葉に所々翻訳している

結構いろんな事 話してその内に歌の披露になった まず彼等の歌から、、、、
南洋系と沖縄民謡をミックスしたような独特の調子 でも少し単調な感じ、、
意味は解らないが何か悲哀を感じる調べだ、、

カミイはタイで流行の(彼 カラオケ大好き)歌とイサーン民謡を歌った
俺も赤い風船のサッカー応援歌?で教科書にも載ってる「翼をください」と鹿児島民謡を歌う、、、
こんな事なら酒を持って来れば良かったが それはガイチットさんに止められていた

夜も遅くなったから 何時までも話は尽きないが寝ることに 村人が帰っていく、、
彼等が居なくなってから急に部屋が冷え込んできた 今まで人間が暖房になってたみたい、、、
布団も無く板間に横になる 慣れないから身体が痛い

そのうち だんだんと冷えてきた 寒くて寝れない、、山の上にキャンプしてるようなものだから、、
カミイは寝ちゃった、、いいなあ、、、

俺が寒がっているのが解って彼等 薪をもっと多く焚いてくれた
でも今度は煙が部屋に充満して目が痛い 目薬さしてもその時だけだし やっぱり寒い
Uさんが子供に言って俺に添い寝させた 人肌で暖めようと云う訳だ、、

Hみたいな変な感情はなかったし お互いTシャツ着たままだったけど
ゲイの習性で若い子が一緒に寝ると嬉しい、、、
寒くて抱きしめてると彼のチンポ硬くなって俺にあたる 彼ちょっと恥かしそう、、御免ね、、
煙にも慣れて部屋も少しは暖まってきたので疲れもあって何時の間にか眠ってしまった

朝 寒さで目が覚めた 火はすっかり消えていた 朝冷えが凄い 風邪ひいたかな、、、、
もう皆起きてた こんな生活 彼等 毎日繰り返しているんだな、、、
頭じゃ解っていた体験しなければ この辛さは解らないかも、、、

確かに これじゃ幼い赤ちゃんには過酷で死亡する確率が高いかも、、
今では週1回は管理事務所に職員が巡回に来るから病気なら山を降りて病院にいけるし
下の町に彼等が宿泊する為の合同生活所も出来ているそうだし 昔ほどはひどくない
でもやっぱり山の暮らしは大変だろう 

朝8時頃 ガイチットさんが管理事務所を降りてきた 隣の山の集落に移動だ
お世話になったUさんに その頃安くなってきたばかりのシチズン太陽電池腕時計を
俺の腕から外してプレゼントした 他に彼等にあげる物 何も持っていなかったから、、、

Uさんや息子の少年に文通しようと住所と名前を聞いた 管理事務所の人が届けてくれるから、、
でも2人とも字が書けなかった TVを使った教育が始まってから まだ3年だから無理も無い
村人や彼等に見送られ出発 何故か涙がこぼれて止まらなかった

次の集落では米の精米の仕方やここでガイチットさん達が指導している
農業の事を教えてもらった 気候的に日本の作物が役にたっている
土地が痩せてて余り順調には育たなかったと云うが それでも収穫は以前より良いそうだ

彼等も前の集落と同じに人なつっこい 半分残してあった俺達からの物資を渡し村を後にした
この村では太陽電池やTVも無かった だから前の集落よりタイ語も通じ難かった、、

俺にも何か出来る事がないかガイチットさんに尋ねた
「現金収入が無いから寒いのに服が買えません 他も足りない物ばかりです  
出来れば募金をしていって下さい」 俺 快く承諾した

彼の勤め先で「村人の貯金通帳」を見せてもらった まだまだ多くの山岳民族を管理してた
村人が少しの収穫を売って得た金や俺みたいな奴の寄付金の分配で
昨夜 お世話になった村では3万Bの預金があった 村人が話し合って使ったり
下の合同生活所を利用した時の食料費等に使われる しかし1人当りで割れば僅かな額だ、、

2万円を差し出した 昨日お世話になった集落に1万 他の部落の分配用に1万
そして日本に帰ってからも 時々送金することを約束して彼等と別れた

日本に帰ってから俺の店に募金箱を置いた でも100円位は入れてくれる人もいるが
そんなに多くないから集まらない 自分の金を足して毎年送金してる、、、
ほんの僅かな力にしかなれないけど 彼等が寒さだけでも しのげるように、、、

ガイチットさんからは毎年お礼の手紙と共に彼等の様子が送られてくる
いちばん嬉しかったのは あの少年が村の子供に代筆してもらった手紙をくれた事
さっそく簡単なタイ語の返事を書いてもらって送った、、、

あの村でも小さな子供達はタイ語を話すだけでなく字が書ける教育を受けられるようになった
彼等の幸せを願わずには いられない

目次ページへ